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私たちは良く自分一人で思い悩むことが多いものです。そして自分はこの世に一人しかいない、孤独だと思っているものです。しかし是非に神仏を味方にされて下さい。すればたちまちにして一人ではない自分に気付き、その力が何倍にもなることに気付くはずです。そうして神仏は、信ずる人を護らねば、そして力を貸さねばと万大の御手を広げ、受け入れようとしております。頑張りましょう。
では貴方自身のより良き人生活動の為に是非にこの陰陽道研究所の私の力を活用されて下さい。
終わりに結びとして何年も前の事になりますが、私を開眼へ導いた御釈迦様からの啓示を「解脱門」として記させて頂きます。
「解脱門」
今生、人の上に人は存せず、人の下に人は存しない。
世尊は、そしてこの法(のり)の下に全知全能を以って人の上に我が身を配し、人の下に自らを礎とされた。
而して人は深く心に銘じなければならない。
己が今生は、この世尊の護られている僅かの隔たりにしか存し得ず、
そして如何なる方便を以ってしても決して世尊には敵わぬことを。
そして更に銘じなければならない。
けだし、仮令その隔たりが千里に値していようとも己が行いによりそれは紙一重と如き、
そして尊い世尊の慈門が開かれることを。
世尊は、そうして尚も慈悲深い御手を差し延べられている。
そして信心あらば至近に現れて身を寄せ、情愛を与え、なくば遥か天に遠ざかり、
或いは必要とあらば化身を召して戒めを与え続ける。
その示現する御姿は、そして誰よりも貧しくあられたとしても気高く、
誰よりも豊かなら一層の深い慈悲の御心に満ち溢れている。
この世に欲得に拘泥した世尊は決して存在もし得ず、心の貧しい世尊もまた存在しない。
これは世尊としての在り方、その真の御姿である。
我々人々は、彼が世尊の下にあらゆる煩悩の自由を与えられている。
選択する事の自由、行動する事の自由、そしてあらゆる欲望を満たし、生きる事の自由を。
しかしその結果、人々の心は浅ましく、弱きを食らい、強きを崇め、
そして弱者は貧困と屈辱に喘ぎ苦しみ、強者は驕慢と飽食に溺れている。
そして荒廃した人々の心は更に止めどなく貪欲と無益な争いに明け暮れ、そして苦悩の中に身をやつしている。
今、この世は未曽有の崩壊に晒されている。
しかし人々は少しも悔い改めることなく、尚も貪欲に屠り、欲得に拘泥し、少しもその食指を緩めようとはしない。
この貪欲な横暴は、やがてこの世に果てしもない破滅と破壊をもたらすであろう。
しかし世尊は、すべてを悟られている。
貧困も富裕も、卑しいも貴いも、貪欲も清貧も、
そして優勝も劣敗も、すべては世尊が自ら与え給うた万象のそのあるがままの煩悩の仕業にすぎない。
だが、だがしかし世尊を侮ってはならない。
万大の満ち溢るる広大な叡智が、そして湧き出ずる無辺の恵みが、もし己が利欲の為に屠り尽くされるならば、
やがてこの世には計り知れぬしっぺいと煩悶の叫喚が待ち受けていよう。
安寧は既に失われている。
足るを知らぬ人々の横暴が、この世の秩序を破壊し始めている。
刻、一刻と破滅は迫っている。
けだし世尊は、今奮い立ち、全知全能を以って自らを犠牲にされ、人々の不徳を贖い、高慢を正し、
そしてあらゆる罪過を清浄ならしめて安寧と秩序を回復されようとしている。
しかしながら今人々は、その寛大な世尊の御心を微塵も解そうとはしない。
だが、だがしかし世尊は既に数多の分身を人々の下へ召されている。
そうした彼らは、仮令貧しくとも諂わず心豊かな人であり、裕福でも驕らず心清い人々である。
そしてまた秀でるとも謙虚であり、至らずとも優しい人々である。
彼らは、そして人々の周りを既に数多に満たし、未来永劫の安寧の使命の下に溢れんばかりの微笑みと、
否、溢れんばかりの悔し涙の中にただただ人々の高慢を憂え、横暴に涙し、闘い続けている。
しかし彼らの涙は決して空無に帰することはない。
やがてその時、来たるべき光明に満ち溢るるその曙に、
この世は遍く清澄まされて永劫の安穏に満たされることであろう。
そして人々は身近な隣人であられる、そう言う彼らこそがまさしく尊い世尊の化身であり、
そしてまた或いはその近い人々であられることを今改めて悟らなければならない。
そして我々人々は、そう言う彼らの啓示を快く受け入れ、そして心を一にして須らく清浄にしなければならない。
そして涙する彼らもまた自身が世尊の化身であられることを今改めて心から悟らなければならない。
合 掌
陰陽道研究所 陰陽師 観音來光
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